April Fool

 April Foolを逃してしまいました。Nです。


 折角気負わずに嘘を吐くことができる特別な日があるのにも関わらず、それを逃してしまう大馬鹿者です。こんにちは。少し前にSNSで流れてきた漫画で、皆が真実を話さないといけない日なるものが設定されている世界を描いたものがありました。なるほど、日頃から嘘に塗れた私たちの世界ではこれくらいが丁度良いのかもしれないなんて思ってしまいましたが、そうでもないのではないかとも感じました。はて、嘘には種類があると語る人間もいるようで、人を傷つける嘘と人を守る嘘があると云う。私はこの意見に賛成も反対もしませんが、一考の価値がある言説であるとは感じます。「嘘は泥棒の始まり」と言われるほど世間一般には嘘は毛頭許されざるものかもしれません。虚偽はそれそのものが犯罪となり、嘘とは虚偽や詐欺と広義には同義であると考えることもできます。であればやはり罪なのでしょう。しかしその罪は常に許されざるものである訳ではなく、この世の中には「情状酌量」と呼ばれる概念があります。その人間の背景を鑑みて、避けようのない状況など同情の余地があると見做されたものは、その責任を本人のみでなく環境、つまりこの社会にも属するものであると考え、減刑をする、ないし執行猶予を持たせる、といったものです。(私は法律には疎いので間違っている部分もあると思います。)さてここで、人を守るためについた嘘を正当化することはできるのでしょうか。何かその人の気分を落ち着かせるためについた嘘を「正義」とすることはできるのでしょうか。正直私には分かりかねますが、真実が常に人間を支えてくれるとは限らないと考えることはできると思います。まあ所詮、経験則ですが。

 4月が始まり、新生活なるものが始まり、世界では時間が流れていることが自明であると無理矢理納得させられそうになってしまう今日この頃ですが、皆さんは苦しくはないですか?ふと思ったことがあります。ストレスは適度にかかる際には人のパフォーマンスを向上させるという言説ですが、ここでいうストレスは私たちが日頃生活して苦しいと感じるあの感覚ではなくて、もう少し無意識的な、意識にも上らないような柔らかいストレスであるということです。いや、苦しいならばその苦しさの中で足掻くのではなく、その苦しみのない場所に行きたいと望むことは多くの場合起こりうることで、その中で足掻き続けれる人の方が少数派ではないのでしょうか。そのような苦しみをストレスとは呼ばず、そのまま「苦しみ」と呼ぶべきであると考えます。私たちが苦しんでいることを蔑ろにしてはならないと考えます。なんと、カタカナに置き換えるだけで意味があやふやになってしまう、言語とは難しいものですね。皆さんは、感じたことを感じたままに一度言葉に起こしてみてはいかがでしょう。それがいくら醜く、度し難い文章であろうとも、広く表に出さないのであれば戯言でしょう。楽しいですよ。

 言語勉強も頑張りましょうね。これは私に言い聞かせています。


 それではまた。

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