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Showing posts from July, 2024

件の「戸籍上の性」の判決について

 最近身体的特徴の変化無しに戸籍上の性別の変更を認める判決が出て話題になりましたね。私はあの判決について少し物申すことができる部分があると思ったので少々書かせていただきます。 とりあえず、まず、戸籍の性別の変更をご希望された方はその身体の変化無しにその変更を申立てている時点で、社会的性別と戸籍上の性別に違和感を感じていると考えて良いでしょう。身体的性と精神的性の違いに悩むなら、戸籍は二の次ですから。そこで、社会的性と戸籍の性に違和感を感じるのは圧倒的に社会レベルの話で、身体侵襲に関してはこの判決を批判する際になんら言及する必要はないとは思うんです。そして戸籍の性を変えるっていうのは社会的性の特性をわかっていないから行える行為だとは思うんです……正直悪手です。 社会的性って(その人の身体的特徴による傾向を受けるけれど)基本的に社会規範ないしステレオタイプによって形成されてる社会的共通感覚みたいなものだと思うんです。例えば、女性はこうあるべきだとか男性はこうあるべきだとかいう言説もその一つです。「女性は美しい」という一つの文章でさえ多くの社会的性を形成するステレオタイプが含まれています。(無論ルッキズムも含まれているかもしれませんが、今回は性別について考えます。)その社会的性に違和感を感じるのはその社会的性が自分の個人的な存在に対して感じる感覚に合わないからだと思うんです。 そこで、男性性と女性性のどっちの基準項目の方が多く当てはまるか、という見方でのみ社会的性における違和感は払拭されると考える人が多いように見受けられます。「私は生まれてこのかた女性として扱われてきたが、男性として書類上扱われる方が私の感覚に合っている」「私は今まで男性として生きてきたが、ずっと女性として扱われる方が妥当であると感じてきた」など、男性として扱われるか女性として扱われるかという二項対立でのみ問題を見がちです。ですが、そもそも男性性と女性性しか枠組みを設けていないのが圧倒的落ち度で、個人が多種多様であると妥当性を持って言えるようになった現代において、その多様な個人をそんな形でカテゴライズしてしまったらそれぞれではみ出てくる感覚はあって然るべきなんじゃないかなと。だから、戸籍の性の変更は正直この人の助けには何の役にも立たないと思うんです。多分、この方が戸籍上女性になったところで、...

人称について

みなさん、お久しぶりです。最近は何をしてお過ごしでしょうか。私は最近小説を書こうとトライしているところ、厳密にいうと再開したいなとずっと考えていて、いよいよ行動に移そうかと考えているところです。そこで皆さんに質問です。みなさんは、小説を書く・読むとき、主格について考えますか。 いざ書き始めの際に、さてどの人称を読者が持つべきなのか、という問いに少し考えさせられました。結論としては、書き手や読み手の自由であり、「べき」という言葉はこの問いにおいて使われるべきではないのだろうと思いますが、これはただ現代における現状であり、現実的な実践的見解でしかありません。では、この問いそのものの重要性について、考えていきたいと思います。 みなさんが日頃読んでいる文章は一人称で書かれているでしょうか。それとも二人称もしくは三人称ですか?論文は、視点を嫌います。論文が好むのは「天の視点」とでもいうべきでしょうか。何かの目を通して見るという行為をきらいます。ただの状況の記述を目標としています。しかし、文章が少しでも好きであれば考えたことがあるかもしれませんが、一切の目を通さずに物事を述することは至極困難極まります。正直私個人としては不可能であるとさえ考えています。 何故か。とても簡単な話です。 私たちは他者を知り得ず、私たち自身のみを知り得るからです。 私たちは私たちのことしか知りません。他者を認知することはできても、その他者に成ることはできません。私たちは一人称のみを可能とするのです。さて、では共感や俯瞰はというと、私たちは他者がどうあり得るのかの予想を行うのみであり、共感や俯瞰はその一つに過ぎないのです。道徳性や共感性の発達理論は多く存在しますが、例えばHoffmanによれば、共感性は、自分自身と他者を区別できない・自他の分化ができていない全体的共感から、相手という存在を理解できる自己中心的共感や役割取得に伴って他者の感情を理解できる共感を経て、他者の人生への共感へと進んでいきます。ここでどうしてもチラつくのはその本人の経験と本人の主格です。私たちは私たちという主格である「我」を持ちます。私たちはその「我」という目のみを持って物事を理解するのです。 「我」は自我意識のような、自分の有る感覚に裏付けられた感覚能力のようなものです。「我」を用いることによってわかることが「他」で...