件の「戸籍上の性」の判決について
最近身体的特徴の変化無しに戸籍上の性別の変更を認める判決が出て話題になりましたね。私はあの判決について少し物申すことができる部分があると思ったので少々書かせていただきます。 とりあえず、まず、戸籍の性別の変更をご希望された方はその身体の変化無しにその変更を申立てている時点で、社会的性別と戸籍上の性別に違和感を感じていると考えて良いでしょう。身体的性と精神的性の違いに悩むなら、戸籍は二の次ですから。そこで、社会的性と戸籍の性に違和感を感じるのは圧倒的に社会レベルの話で、身体侵襲に関してはこの判決を批判する際になんら言及する必要はないとは思うんです。そして戸籍の性を変えるっていうのは社会的性の特性をわかっていないから行える行為だとは思うんです……正直悪手です。 社会的性って(その人の身体的特徴による傾向を受けるけれど)基本的に社会規範ないしステレオタイプによって形成されてる社会的共通感覚みたいなものだと思うんです。例えば、女性はこうあるべきだとか男性はこうあるべきだとかいう言説もその一つです。「女性は美しい」という一つの文章でさえ多くの社会的性を形成するステレオタイプが含まれています。(無論ルッキズムも含まれているかもしれませんが、今回は性別について考えます。)その社会的性に違和感を感じるのはその社会的性が自分の個人的な存在に対して感じる感覚に合わないからだと思うんです。 そこで、男性性と女性性のどっちの基準項目の方が多く当てはまるか、という見方でのみ社会的性における違和感は払拭されると考える人が多いように見受けられます。「私は生まれてこのかた女性として扱われてきたが、男性として書類上扱われる方が私の感覚に合っている」「私は今まで男性として生きてきたが、ずっと女性として扱われる方が妥当であると感じてきた」など、男性として扱われるか女性として扱われるかという二項対立でのみ問題を見がちです。ですが、そもそも男性性と女性性しか枠組みを設けていないのが圧倒的落ち度で、個人が多種多様であると妥当性を持って言えるようになった現代において、その多様な個人をそんな形でカテゴライズしてしまったらそれぞれではみ出てくる感覚はあって然るべきなんじゃないかなと。だから、戸籍の性の変更は正直この人の助けには何の役にも立たないと思うんです。多分、この方が戸籍上女性になったところで、...